3.11のあの日③

1ヵ月近くが過ぎ、情報の混乱はまだ続くものの
自分もまわりも落ち着いてきたので
お世話になった旦那の実家を離れることにしました。

4月7日
我が家に帰ってきた後、数日たち
ポンを寝かせ自分も寝ていた23時頃、再び強い地震が襲ってきました。

また!あの恐怖がよみがえります。
再び停電になりました。

もうどうすることもできなかったのでそのまま寝て
朝、ポンを祖母に預け近くのスーパーへ行ってみると
たくさんの人が並んでいます。

ようやく店内に入ると入口から出口までに平台が何個か並び
すぐ食べられるバナナやパン、カップラーメンが乗せられ
1人5個(だったかな?)まで!となっていました。

また、スーパーも電気が通っていないため、冷凍食品が
溶けてしまうということで、無償で1人に1個 配っていたのですが
電気が復旧した夕時に、おいしく食べることができました。

コンビニが冷蔵庫代わりという人もいるようですが
震災から数日たっても開いていないお店はいくつもありました。
雪降る中何時間も並んで数点の食糧を購入されたという話も聞きます。

おむつやミルクは手に入らず、旦那の実家で購入したものを
旦那に運んでもらい地元の友達を通じて渡したこともあります。

幼子を持つ親はおむつや粉ミルクがないと本当に
不安です。

ある程度のストックは必要なのではないでしょうか。
私はちょっと行き過ぎており、トイレットペーパやティッシュ等々の
ストックはお店をひらけるくらいあります・・・
ないと不安になるのです。

改めて文章にするとずっと私は誰かに支えられていました。
でも、その気持ちを心に留めておかないとすぐに忘れてしまいます。
震災当時の記憶も風化が始まり、思い出すのもやっとになってきました。

未来を生きるポンとポヨにはこの震災を伝えていかなければなりません。
その前に私が忘れないように。
記録しておきます。

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